事実を見せる

経営コンサルタントの世界に「事実を見せる」という馬鹿馬鹿しい言葉がある。私は、「ある条件」を無視してこの言葉をいう輩を信じない。この言葉には、「事実は一つ、そして事実はだれにとっても同じ、事実は異なる人々にとっての共通言語」という過信がある。

事実を見せるという表現はいろんなところが省略されていると思っている。しっかり約すと、「ある意図をもって事実のある一側面を、相手の解釈のしやすい方法をもって見せる」ということ以上の以下でもない。そして、その一側面は事実の一部であって、別の一面から見ればそれはま異なった様相を呈する。さらに厄介なのは、その一側面を解釈する相手がいるということである。つまり、つまみだした一側面(以下、現象とする)は一部にすぎないにも関わらず、無数ではないにしても、「複数の解釈」によって理解されてしまうのである。その一現象に対する解釈は、こちらが見せたい!という意図を簡単に裏切ってくれる。
こんなに複雑なのに、そのところをいろいろとすっとばして、事実を見せる、という言葉だけが跋扈する。その周辺言語は無視されるのである。

解釈の積み重ねが、私に飯を食わしてくれる人の意思決定や行動の材料にならなければまったくこの仕事に価値はなくなってくる。つまり、「現象」の列挙では意味がないのである。それはネットに任せればいいのである。

見たものが事実ではなく、見て、そこから解釈した考えだけが、その人にとっての事実。
ある意図を勝手にもつのはいいが、その人が何を信じやすいのか、を知らずしてパワーポイントの紙芝居をしてもそれは時間の無駄という、顧客不満足のもとにしかならない。
何をみせれば、「ある事実」に気付いてくれるか?をまず考えれるコンサルタントはもスタートでこけたも同然である。そして、私も何度となくこけている。