本気
教えることではない、考えさせること
というか、教えれる程、業界のことを知らない。だが、どう考えるのか、ということに対しては多少なりに精進しているつもりだ。
今日からカジュアル・エブリデーが始まった。9月末まで。しかし、28度はつらいな。
「ググッ」と来て、なんどもぱらぱら「見たくなる」本2冊。
買う時になぜか「贈り物ですか?」と聞かれる。贈り物で買う人が多いのか?それとも、どう考えてもこういう本を読む人に見えなかったか?
「こども哲学 よいこととわるいことってなに?」(朝日出版社)
「こども哲学 きもちってなに?」(朝日出版社)
きみをしあわせにするのはいましてることだけ?他にはないの?
本気にならなれければ、自分を知ることはできない。仮想上の都合のいい自分だけしかわからない。
そんなことを痛感した昨晩の11時30分頃。
いつの時代だって、楽(ラク)して儲かればいいという気分は、何かに押さえ込まれてはいるが、人の心のどこかにもぐりこんでいて、決して存在していないということではないのだ。ちょっと「時代がゆるめば」、顔を出すような類のものだ。(本人)
何も決めないで、ゆるゆると繋がっていることもこれまたいい。(とある友人)。
確かに、友人関係というのは機能体ではない。そしてそんなに難しく思わずともそうなんだろう。
お金と戦えるものは、やはり「お金」か?「人生の目的意識」か?それとも?(最近浪費癖の本人)
実はもう案外近いのかもしれない。電子ペーパーの登場。