「何のために」という問い

MBA同期で、今は投資家の友人と銀座の「鳥半」で串。
中国の優良企業、ドバイや香港人やシンガポール人の価値観、そして日本人のお話に。そして、日本はエキサイティングではない、と友人。主因は日本の持つ「同質性と年功序列に起因する社会の硬直性」。この打破にはおそらく「適度な多様性」というものが必要なのだろうけど・・・なんとかならんものかいな。
そして、今、モノの持つ価値に対する俊敏な目利き世代が登場しているなら、モノ以外のあらゆるものの持つ価値、つまり「意味」に対する目利き世代が生まれようとしているのかもしれない、という仮説に至る。「価値のないモノは買わない」から「意味のないコト(たいていの場合、生き方)はしない」へといったところか。
市場があろうとなかろうと、値段がつくものすべてをお金で買えることは間違いない。ただ、「意味」はお金では決して買えない。値段がつかないからだ。(ただ、準備のためにお金がないと追求できない「意味」もある。そして、お金があるからその「意味」が手に入るわけではなく、あくまで必要条件でしかない。)
「生きるために働く必要がなくなった時、人は人生の目的を真剣に考えなければならなくなる」と経済学者John M. Keynesの至言があるそうだが、そういうことを改めて考えさせられた、まだまだ桜が美しい金曜の夜。