ディスカッション

ディスカッションになれている人となれていない人の差はどこに出るのだろうか、とふと。
これはディスカッションというものをどう定義して前提に置くかによるが、よく見られる「自己主張の交換」ではなく、日頃から感じる「自己主張の内省」という方がしっくり定義できる。
5年間の年平均成長率25%(!)だが、1社による市場シェアが約8割という某国の某消費財市場をどう考えるかというディスカッションを顧客とする機会があった。
その中で、気づいたこと。
・結論を出す前提がまだ緩い
・経験のみからの仮説が多い
・数字を検証の道具としない
ディスカッションの目的は、「人の頭を借りて、とある命題を多角的に検討する」ことである。その機会が自らの主張に内省を迫る機会となる。誰の意見が違っていて、誰の意見があっていて、ということに白黒つけるのが目的ではない。つまり、勝ち負けといった勝負や競争ではない。最後は、自信のプライドをかけた自己主張と衒学的態度に終わるのが自己主張の交換だ。そこにジンテーゼはない。
もちろん、ディスカションが必要でないケースもある。たとえば、純粋な独創性を追求する場合。むしろ、ディスカションは邪魔になる。
僕はこう思う、で終わっていてはビジネス上のディスカッションには全く意味をなさない。