“Face the reality”

今日、ここロンドンでは非常ー(!)に珍しくサービスと愛想のいい、私の懇意にしてる旅行会社に行って、日本帰国便の予約をしてきた。
4月30日(金)(卒業式の翌日)に逃げるよう!に出国、5月1日(土)に日本に到着です。
もうすぐ双子の母親になるエージェントのおねえちゃんと話していて、やっとMBA卒業して、もうここには帰ってこない、と言うと、“You got a job in Japan, face the reality and make tons of real money!” 2つ目の言葉がその後の数時間頭の中に沈殿していました。
“Face the reality”直訳すれば、“現実の世界に戻るのね”。大学卒業をしてから2度目の現場復帰。働いてお金をもらうという現実からは確実に別の世界にいました。
あたりまえやん、そんなんお前、と東京にいるS氏に怒鳴られそうですが、なんでこんな言葉が?と思っていると前期のCorporate StrategyのGEでのウェルチ氏のビデオが事の発端。簡単だと思っている人がほとんどだが、私はそんな幹部をほとんど見たことがない。見ないから変われない。見ないから間違った方向に変わっていく。直視するのはつらい。が直視しないともっと辛くなる、直視した結果変わるのは、一貫性を通すことよりも大事だ、といった趣旨でした。
株価損失後の“損切り”をしないなどはFace the realityしない典型例です。実践においても、ノーベル経済学賞受賞の行動経済理論、人はなぜお金で失敗するのか(もっとも庶民に近い言葉で説明してくれている本)においても証明された例です。

私自身、現実から目をそらしたことは何度でもあります。(“やり過ごす”という技もありますが、やりすごして(時間が経って)、勝手に事が解決すればいいのですが、あまりやりすぎると上司との揉め事・口論のもとになるのは松下・静岡時代の教訓。ほどほどには大事です。)
他の人、環境、突発的要因などなど指を刺すところはいくらでも見つけてました。こういうのがうまい人はいっぱいいます。(本当にそれが事の原因もありますが)“矛盾した、相反する視点”(一面だけでなくそのまったく逆の考えも同時に頭の中で展開できる視点)を持って“現実を見る”のは自分の行動を変える際の本物の支えになると思ってます。

そしてそのような状況が今の私に起こっています。
私は帰国に備え、トヨタの中古車を売らねばなりません。そしてAuto Traderという中古車情報のウェブに広告を出しています。値段はC$8,600.(1カナダドル=85円)。
ではこの値決めはどこから来たのか?を考えてみると、
1)Auto Traderという中古車情報のサイトの受付担当曰く、“7,500-8,500ていうところがレンジじゃないの?”という言葉に安心感を覚えた。
2)トヨタだから値段は高めでも大丈夫という漠とした考え、あくまで高く売りたいという希望
3)上の2つの状況から安く売ったら損という考えと、安く売ったら売ったで“なんでそんなに安く売ったの?”と2)の考えを持った、車を売っている状況にいる人(この種の人も事実は調査していない)に言われることがうざい。(要は敗北感をくすぐるようなことを言われたくない。辛いです)

上の3つの中に事実はひとつもない。勝手な仮説です。さあ、今日あるディーラーから現実を知りました。この時期、値段は1995年トヨタ93K Kmで5500ドル(!)買い手が見つからなければ、ディーラーで3,500ドルで終わってしまいます(事実)。はっきり言って、切れました。Auto Traderの人に。一方で、“現実的に”ここで私に必要なのは自分の行動を変更することに対する節操のなさ、なんだなとも。あっまずい間違った、と感じています。苦痛です。明らかに8500は無理です。もうすでに損を感じている自分がいます。
一発の短期売買なので、しゃあないなーで終わる問題です。(でもつらい金欠の身には)

しかし、もっと長い、大きな課題(それぞれご自身のことを具体的にイメージしてください)を直視する場合(就職とか結婚生活とかライフスタイル)に当てはめて考えると、”何かを変えると頭の中で思考しながら、行動に変化がない” VS ”節操なく考えを変えてばっかりで、それと共に本当に行動も変えている”、という対立構図があります。私のまだ短い経験上、一般化するのはきわめて危険と思いながらもですが、よく見られるのは、前者の人は後者の人を一貫性という観点から批判する傾向が、後者の人は、非柔軟性という観点から前者を批判する傾向があります。前者は、わかっちゃいるけど、変えない、変えれない。後者は、心理的ジレンマはないけど、エネルギー、経済力がめちゃいる。もちろん一番心理的強者でエネルギーが要らないのは、何かを変えることを考えず、行動を変えることもないことです。

まだ売買は終わっていませんが、さて、このつけ(よく言えば授業料)いくらになるのでしょう?(=私の当初期待していた売価−実際の売値)

今日は、Why not?はなしです。人事採用の話は、あさってにします。明日どうしても書きたい内容(天才や秀才との付き合い方)があるので。