未来の産業は?後半
卒業まであと残りの授業は3科目6コマとなった。4月6日(火)にすべての授業が終了する。(ふっ−−)この時期はちょっとした雨季のせいか、雨が2日に1回ぐらい降ります。
本題
どうも教育というと供給者の立場からの視点が強くなってしまうので、かつ産業の幅が制約されそうなので学習産業という言葉に変えます。そもそも社員の教育というけど、社員を教育するために企業は存在してるわけではなく、逆である。企業あるいはその他の外部機関が社員を教育しなくても、社員が仕事を通じて学習してくれればそれまでの話である。企業は別に教育費などという項目を計上する必要はまったくないのである。(理想としてはね)だから考え方としては、会社の教育費を減らすのを助けるけど、学習機会を増やすそういう供給体制ができることが、日本の企業社会にはあっているのかなーというのが、暫定的な結論。
個人的に、供給側の思いが先行して産業がされていく(ヒット商品ぐらいはできるけど)
というダイナミクス、大きくなるっていうのは私の知る限りではない(あったら教えて)。たとえばPC業界なんて表計算ソフトっていう磁場的需要がなければ、PCがビジネス需要としては成り立たなかったと思う。(いまはその磁場が完全にシフトしてるけど。ちなみに最初に表計算ソフトを作ったのはハーバード大の2人の学生)つまり産業しいては市場はやはり磁場的需要の存在が、お客さんがその需要に気づいているか気づいていないかは別の問題として、あって小さく立ち上がった後、市場として成り立っていく、そして産業になる。
ということで、未来の産業は未来の需要からと考えて。
今ある需要
出版: 無理やりMBAという言葉を題名にして(作者の意図であることは少ないと思うが)、難解なこと(概念的な言葉-日本人の思考言語構造を構成する言語とは異なる)を難解なまま説明して、読者をその気にさせてしまう出版系への需要。何より実務的に応用がしにくい。漫画のほうが説明ができてる。実際に行った人のためのまとめ本になっているふしがある。(伸びない。知ってるだけですでに出版から2年以内に3誌つぶれてる。)
スクーリング: 古い市場でもある資格に結びつく座学習は堅調な需要。しかし、資格を必要とする場に一定のキャパがあり、成長性に限界。旬な資格も2-3年で谷を迎える。コモディティ化が絶対に避けられないなどの要因がある。ただ、資格は信用を買う(企業へのエントリーの際)ということであるというメリットもある。
非資格系のほうが成長の機会は多く、対象となる人の裾野も広い。民間系が先行しているが、寡占的な業者はまだないと思う。
Eラーニング系:言語の統一という観点では新入社員にはいいでしょう。まだ頭だけによる飲み込みも早いため。
未来の需要:
もっとも吸引力のある磁場的な需要でかつ満たされていない、でも満たされないとまずいなーというのは、三枝匡氏のいう経営者の、あるいはそれに近い立場での修羅場経験を経た人と新しくビジネスモデルを作れる人の学習機会(えいやっの仮説)。そして、この類の人たちが、いまも今後も企業にとっては大きな財産になります。余談ですが、私の先輩の某広告代理店にいる人は、もう広告の仕事には全くかかわっていなくて、ビジネスモデルを毎日毎日考えて、10個考えてOKが出ればいい(つまり上にひとつあがる)という感じのお仕事をしてるそうです。(注:ここでのビジネスモデルを作るという意味は、今まであったものを効率的あるいは効果的にするということではありません。)
では、需要の背景にある動機はなにか?
さまざまな社会的不確実性から来る不安感(危機感)が多くを形成する個人の学習産業への多くの需要をあおっている。好きだからする学習と不安だからする学習という風に、動機の観点からすると大きく2つあると思う。危機感も不安に含めてる。好きだからするという動機の持ち主は何ゆえかアカデミックにその多くがいってしまって、実務界に帰ってこれない。(これはあとで述べます)いきなり会社をつくったりとか、実務界に行かない。
将来の動機には、“企業側の不安”がプラスされる(いまでもそうかも)。確実に言えるのはこれは“ますます”強化される。
学習産業に対する磁場的需要は“企業内にある”上記2つのタイプへの社員、というのがここまでの仮説。ここでは大きい小さいは問題にしません。
では、この需要、どのように満たされていくのか?(あるいは自然的な流れか?)
学習産業、やはり実務経験してからするというのが妥当(リアルとの結びつき)。そして実務を経験しながらやるパートタイム型(職場を離れるという機会コストをなくすことは、コストマネジメント思想が常に底流にある会社には特に向いている)。そして、もっと理想は、直近であったことを課題にして学習する(今やっていることは機密上問題あり)
この3つの要素は、実用性、即効性、コストマネジメントという日本企業の持つ伝統的メンタリティーからすれば妥当な仮説かなと。この3つをはずさないことが需要を大きく押し上げるため供給側にかせられた制約条件。
次は、供給です。
産学が長らく分断している状況が続いている点(技術のほうはちょっと事情が異なりますが)、学習界は圧倒的に供給に追いついていません。実務界→学習界のパイプも異常に細い(えらいさんの単発講演だけではだめです)ため活性化されてません。また学習界→実務界というのも、学習界にいる人にお金を供給する仕組みがないのでだめ。やはり、人・金は圧倒的に実務界有利です。(そして実は学習機会を提供している人は企業の中にたくさんいます)
そこで、実務界の人々がなんとか学習界に移動できる経済的動機を生み出す仕組みがうまれてくれば。。。つまり、投資銀行の人が途中で会社をやめて、事業会社の財務の人に学習の機会を与えられることができるのかな?という視点です。大学・大学院が経済的動機ではなく、心理的側面、特に愛校心を利用した卒業生ネットワークをどういかせるか?民間系は完全に個人のネットワークでやってます。
先に述べた需要に対して学習を提供する人・環境は大きく分けると会社の内と外にあります。
内の代表選手は長期、機能別、ローテーション型のOJTでその場で経験のある実務家がその提供者になる。しかしこれは先の磁場的需要を満たせないのは今までところ火を見るより明らか。I型人間の量産かつ体系的ではなく虫食い状態での経験習得になりますその上、OJTができるということはもうすでに確立された仕事のプロセスがあるということを前提としており、新しいモデルを作る、社内にないノウハウを用いて新たな事業をおこすといった“社内にないかつ未知に遭遇しうる”課題に対応できる人を育てることに限界がある。例:“ドイツで2つの工場を成功裏に立ち上げてきた人に、洞察力をもって中国で工場を立ち上げる際に起こる緒課題をあげるのは非常に厳しい”いろいろ教えていただいてた社長談。)これは社内人脈に関しても同じことが言えます。知っていることは大事ですが、それは学習機会に特段やることではないです。日ごろです。
一方で、現場での実行を不断に長期に渡って行うことから現場レベルでの反復的な戦術的発想を身につけるという点では非常にプラスです。(余談ながら、貪欲に(泥臭く?)実行を行うという点ではぜんぜん日本人は強いと思います)。またこのスキルは現場のみでの伝達、発達が可能なため1つの商品として独立させることが困難、よって外の機関による提供は困難。
あと、時間がかかるという点が一番課題になります。ゆえに何年していたか?という経験期間が重視され、どういう経験に遭遇したかという“経験濃度”がおろそかにされる危険性が高い。
提供する外の側に目を向けたとき、学習を提供する側にネタ(情報)がなかなか外にはでてこない文脈(オープンブックなんてとんでもない!ということ)があるため、あくまで内に“ある”ことを活かしながら学習機会を提供することに圧倒的有利さがあります。ただ、状況はあるけど、なぜかつかえてない。外の世界はその情報を使いたいけど、ない、です。
結論:
学習機会を企業内の事情に合わせて作って実行できる人事(マッコールという人のいう”経験の学校”を会社内に組み込める人)。そしてもっといえば、そういう人事を作れる外部機関。これがお金のあつまるところ1つめ。人事って強いはずなんだけどなー日本の会社では。北米ではその影もないけど。だた、ネックは人事がI型になっているケースが多いと大変。他の部門の実務に精通していない。だからコンサルもうかるんだなー?
もうひとつは、OB、OGあるいは他産業の実務家(実際世界第2位の自動車会社の生産部門のOBは会社を作ってます。ただこの会社の場合コンサルですが)+この人たちの経験をフォーマット化できる能力を持った(コンサルでもなんでも呼び方はどうでもいいです)人たちにお金があつまる。これらをコーポレートユニバーシティーという形でお金のある会社はできますが、それは例外的です。
特に日本の大学院プログラムに望まれるのは、機能別プログラム(マーケとかファイナンスとか)ではなく短期間の状況・課題別プログラムの開発(プロジェクトマネジメント、海外進出、新規事業立ち上げ)です。おそらくある企業とのジョイントになるのかなー?。機能別ってほんとに供給側の論理でできてるって実感します。でもリアルに行くと機能別な問題って少ない。全部部門横断的。もちろん作るコストは高い。だから業種別の条件でファンドして、プログラムを作って経済的にペイできるようにするなど細かいものはつめないといけません。もちろんすごく手間もかかります。教授1人では無理だと思う。
最後に、誰しも、学ぶだけの立場から、教えて学ぶというモードに入る時期がやってきます。特にかに直接評価対象となる部下ができた場合、規模に関係なくプロジェクトの指揮をとる場合など典型的な転換期です。北京時代、工場営業配属になって1ヶ月して某済南市にあったグループTV会社と再三の納期トラブルがあったとき、“お前まだ学んでばっかりおるんか?早く教えんか!”と社長室で怒鳴られた経験が今でもしっかり頭に染み付いてます。“????(心のかなで:おいおい)”だったのでのみの席で正したこともありますが、“誰よりも早く(経験と座学で)集中的に学んで、早く教える、そしてそれが濃度の濃い経験として定着する”。(教えないと、経験として定着しないってこと?)経験濃度はそのときの考えです、
ISL http://www.isl.gr.jp/というNPOがあって、これはもうハイエンド市場だけを相手にしてますが、将来の需要ははずしてないと思います。学習産業は地味ですが、不況には強いです。