仮説:知識社会で労働流動性は減少する

新しい職場で一からやりなおし、というのは、今の職場で得られる知識が多ければ多いほど、つらい。それはたいてい他の職場では使えないものなのだが。今の職場で使える分には十分。他のところで使わないなら、ええやんという開き直りもありだ。
しかし、たいてい職場で得られる知識は、どうもなんだかんだと偏ってくる。そしてみんな同じようなことしかしゃべらなくなるという矛盾も抱えている。だから外と接点持ちましょう、ということになるのかも。しかし、外と接点といっても、自らが職場を動いてまで接点を持つというのも億劫。そこで「このこと」がきっと、労働流動性を減少させる、って仮説はどうなんだろう?
おそらく、学ぶ力の比較的高い20代はめちゃめちゃ労働流動性が高まっていくのかもしれないが、30過ぎると、結局、一からやりなおし、というのが億劫になるに従い、労働流動性も低くなっていくのかもしれない。
所有するものが増えてしまうのだ。荷物が少ないと引越しも楽なのだし。
長年掛けて得た知識は、そんなに簡単にすてられない(でしょ?)。
ところで、今後もっとも必要とされるスキルとして、いろんなところで「学習能力」というのがあげられているが、学習するというのは、これまた学習してきたものを捨てていく(蓄積は多少残るだろうけど)こと。つまり、一からとは言わないが、学ぶスピードを倍ぐらいに速めてしまって、その億劫さをなくしていくということなのだろう。