ケース

とある知り合いの体験

昨日、うちの会社のある人が遅れてきました。
遅れたのです。
そう、遅刻したのです。
そうなりゃ「遅れてすいません」のひとことくらいあってもいいでしょう。
ところが、彼が発した言葉は
「いや、ちょっと携帯の時計がいきなり壊れてしまったので、遅れたんっすよー。ちょっとこれ直してもらえません?わっはっはー!!」
。。。。。。
聞いた瞬間、
プチプチプチプチプチ!!!!!
となってしまったわけで。。。
そこから怒り爆発モードで接してたら、流石に反省してビビッてましたが。

あまり聞かない体験でしょうか?
実際にこういう事態に遭遇した当事者なら、「この人」への印象はどうなるでしょう?
もちろんネガティブ。最悪。何考えてるねん!許さん!なめとんか!などなどです。

そして、今、「彼は、とある外国の人」という情報がわかりました。
印象は変わるでしょうか?
(その国の)国民性になぜかネガティブな印象を持ってしまう?
なぜ一個人の行動が、国民全体の国民性にまで昇華していくのか?
今となっては不思議だ。
もっとも、以前にも同じような経験をしていることで、さらに国民性への印象は「一方向に強化」されることは、凄く自然なこと。
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実際には、「彼は、とある外国の人」という情報は「先に」頭の中にあります。
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これがポイント。

彼が日本人なら、「日本人の国民性」まで昇華した話になるだろうか?
きっとならないだろう。あくまで個人の問題だ。日本にいて、日本人の国民性を、日本人に問うことなどほぼない。「お前、日本人ならそんなことしないぞ!」というせりふは出てこない。あるとするなら、日本以外の場所だ。日本の中で、いちいち「日本人とは」なんて説いてると、多分村八分になる。

国を超えて働くというのは、普段意識しないことを意識せざるを得ない。
まあ、日本的なルールに拠らない管理とか個人でばらつきのある倫理観での視点では、相手はまた同じ反応をするだろうけど。

罰金です。かの国では。
とか言いながら、昔、私も「そこまでしなくても!」といったら、上司に「甘い!」と一喝された記憶も。懐かしい。
もちろん、罰金課しても、またやる人はやります。それこそさらに個人の問題。
しかし、相手が「罰金なんて別にいいよ」と思うほど金を持っていると罰金は無力。いわば「超過料金化」してしまうだけ。
日本人的倫理感が通用しないということを早く割り切るしかないのか?
日本人的倫理感は「日本人にとってこそ」正当化されうる。いや正当化されないと困る。もちろん、共感してくれる外国の方もいらっしゃいますが。一般論一般論。
その他の国からみれば、本流的倫理感にはなりえない?
日本人は美しい!と賞賛されても、ミクロで見ればそうでないことは明らか。
だって、とある外国の「国民性」というマクロの問題なんて、「自分」の手の届くところにあるもんじゃない。
そういう感情、昔よく遭遇した私も。
しっかり揉まれてくれ、とエール。