「議論を回す」と「議論をした」の差

  • 簡単と思わない

とある事業開発を巡って3社間で議論をすることがあった。単純にが集まって何かについて話したという行為自体が、参加者に「議論(仕事)をした」という感覚を自然と与えてしまうのはなんとも怖いと感じた。仕事柄、内部との議論・クライアントとの議論は多い。議論そのものが付加価値の源泉みたいなところがある。一人で考えることの次に、議論することが創造性向上の大きい要素だ。だからこそ人一倍議論する時には気を使うようにしている。「議論を回す」ことが下手だとなんとも仕事の生産性は上がらない。怖いのは議論を回すって個人個人がなんとなく「できるのでは?」と安易な考えに走ってしまうスキルでもある。議論を空回りさせて学ぶしかないのかもしれない。最後に、フリーディスカッション、言葉の響きはいい。が、自由に意見交換をしましょう、なら非常にまずい。サービスは「無料」ではない、そして、フリーは「自由」ではない。精精、肩の力を抜いて、ぐらいの意味合いにしておかないと後々あーあれは何なんだったんだということがあるから。

  • 人にはそれぞれ理由がある

人は他人の意見に対して否定の反応をしやすい特に自分と違う意見に対しては、その傾向が顕著。ただ、この否定の発想はなにかジャンプした発想がほしい時、邪魔になる場合が多いかもしれない。これを解決するための心構えとして、まず、?違う意見が出てきた時に自分の意見が否定されたと思わない。?違う意見の裏にある原因を考える、?原因がわからなければ相手に聞いてみる、?お互いの意見の裏にある原因を出し合うことで問題を共有する、?更に大事な事として、『議論の結果として「意見を変えるのはあり」という認識を持たせる』こと。「自分の意見を押し通せた方がかっこいい」と思いすぎる余り、相手の意見に耳を貸せなくなってしまうことがある。同じ事象でも人によって捉え方が違うので、意見そのものだけを考えてしまうと、受け入れられなくなってしまう。その裏にある問題・事実(どうしてその意見に至ったか)をお互いにオープンにしていくことにより、相互理解が得られるのかもしれない。