因果応報

どこかの、誰かの怠慢は、どこかの、だれかにツケで回ってくる。非当事者意識による解決の先送りは、世代を超えて因果応報を繰り返す。ツケをまわされた個人や組織は、「なんで?私たちが?」となるのは自然な感情。ただでさえ、自分の怠慢に自分がツケを払うことを嫌がるぐらいなのに。一方で、周囲の環境、周囲の人、前世代の人にツケのよりどころを求めれば、自分の世代の、自分の地域の非当事者意識は増長する一方となる。どこかの、だれかが「苦しくて、あほらしいけど」せき止めないといけなくなる。だから、「いい先輩世代を持つこと」って大切なのだと思う。そして「怠慢とその反作用としてのツケの総量は一定」という法則があるのではないかとも思う。どこかの、だれかによって怠慢が蓄積されて、どこかの、だれかにツケが分配される。どこかの、誰かの怠慢に起因する不可避な痛みがこれから予想される大阪府の現状のことを聞いての雑感。30代知事や、如何に?