Materialismへの対抗軸

「日本人の精神と資本主義の倫理」読了。
疑問:職人気質が統合知としての教養の阻害要因になっている?

日本の部品がキーパーツの6割を占めるiPod
では本当に日本の部品がなければiPodはでなかっただろうか?
そして、日本の部品があったにも関わらずiPodはなぜ生まれなかったのだろうか?
「作れる」と「実際に出す」ということには天と地の差があって、「作れるレベルにあって、実際には出せたんだ」というのは専門家の嫉妬(?)に根ざした結果論のように映る。そして、その抗弁を聞いている方はすがすがしく感じない、というのが率直なところ。その専門家が言っていることは正しいのかもしれない。でも往生際の悪さというか、「すがすがしくない」というのは気持ち悪い。

最後に、教養というのは自分にとっては果てしない言葉。専門という言葉とはその軽重を比べることさえ躊躇われるほど。