最高という言葉は成長の妨げ?

末期がんで余命数ヶ月のバーチャル・リアリティーの世界的権威の一人とされるカーネギーメロン大学教授Randy Pausch(最後の講義時には46歳)の “The Last Lecture”をYoutubeで見る。「視野に入った死」にゆっくりと向かって歩いていく人にはきっと見えるものが違うのだということが以下の言葉から感じ取らざるを得ない。ただ、全く悲壮感なんてないユーモア満載の「最後の授業」。

人生にはレンガの壁がある。レンガの壁がそこにあるのは、私たちがどれだけ本気かを試すためにある。それを真剣に望んでいない人たちを止めるためだ。本気なら壁を破ることができるし、中途半端な気持ちの人は壁にブロックされる。自分以外の人たちを押しとどめるためにある。

煉瓦に出会ったとき、「これは試練」と冷静に居られるか?その心の保ちようか。

経験とは、求めていたものが手に入らなかった時に手に入るもの

失敗した経験の方が、不思議と「後になって」活きてくる(失敗した時はそんな余裕はないし、出来ればひどい失敗は遠慮したいのが本音だけど)

子供時代に打ち込んだ事は生涯の友になる

自分は幼少の頃、なぜ野球ではなく、ソフトボールを選んだのか?そして全国大会に出れたのか?自分の(無意識に近い)戦略の原点とつながる。

Head Fake

講義の随所に出てきたHead Fakeとは「学んでいる時、やっている時は理解できないが、後になって解る事」
最後に、こういった講義を「心」に残る講義(memorable lecture)と言ってしまうのは、本当は記憶とか頭に残るというのが正確な表現なはずなんだろうけど、なぜ日本では「心」なのか。やはり日本は東洋。