一番強い国に行く、その国の人を連れてくるシンプルさ

夏の暑さ、生来の過剰な新陳代謝、そして筋肉改善活動(?)によって、水に浮くのが難しい?ほど自分の体脂肪率が下がっている。そんな自分とは対照的に水の中を泳ぎ回る日本女子シンクロナイズドスイミングチームは5位に終わった。
北京五輪の上位5チームのうち、ロシア、カナダを除いた、日本、スペイン、中国チームを日本人がコーチもしくは監督するという状態らしく、選手は自国選手でも、監督・コーチはそうではないという現象がここにも存在する(サッカーではもう当たり前なのだろうけど)。
世界トップのロシアを超えるために、ロシア人コーチが日本チームを指揮するなんて時が来るのだろうか?あるいはロシアで鍛えてきました!という日本人の全日本入りはあるのだろうか?
そこでの論点はきっと『らしさ』なんだと思う。「日本人らしいシンクロ」なるものが存在するのかどうかは(これまた論点になるが)自分には判らないが、きっとロシア人コーチを連れてくる際の議論になる。「ロシア人に日本らしさが判るか!」とか・・・。そこでは、「単純に強い人を節操なく連れてくる、単純に強い国で戦って鍛える」そういうシンプルな原理は無視されている。
いい悪いの話ではなく、この原理は人材のグローバル化を加速させる。野球しかり、バレーの朗平も卓球の愛ちゃんもそう。これはもちろんスポーツだけの話でもない。人のグローバリゼーションは、おそらく常に「らしさ」との葛藤をどう超えていくかでその速度が決まるような気がする。