誤解=意図と解釈のすれ違い

昔、ビジネススクールにいた頃、ある教授がコンサルティング業界というのは「Question Indusrty」)だと言っていたのを思い出す。「質問産業」とは聞き慣れない言葉だが、いかによい質問を生み出すか付加価値の源泉になる業界という意味である。一方で、この業界は「Claim Industry」ともいえるのではないか。クレーム産業:顧客満足を追求する上で、いかにクレームを低減するかが極めて重要であるという意味である。

そして、「言葉は意図と解釈に挟まれた存在」だとつくづく思う。
全く同じ言葉を介しても、意図と解釈はすれ違う。
「そういうつもり」と「そういうことか」とのすれ違い
このすれ違いが誤解と呼ばれるもの。
言葉そのものの使い方以外にも
言葉を発した人間の立場、
言葉を発する前の普段の行動、
言葉を発する時の表情、
が誤解の誘因となる。

大抵、意図というのはそんなに多くない。多くて1,2つがいいところ。
一方、解釈というのはそれ以上に存在し得る。
それでも人は自分の意図を伝えるために言葉を使う。
誤解という落とし穴を避けながら。

何よりも、コミュニケーションの成否は常に「相手」が決める。
自分ではない。この謙虚さを忘れると常に誤解を呼ぶことになる。