「センターピン理論」

「物事の本質を掴む」という言葉は、頭のよさを装う人々のための決め台詞になっている。実はそのように言うだけでなにかしら自分を陶酔させてしまう、あるいは何かの結論に達してしまったと思い込ませてしまう魔力があるのではないか。この言葉は、グッドウィルグループの折口会長がその近著で触れた理論である。私はそのフレーズをぱらっと立ち読みしただけで、全部読んではいない。この言葉が一種新鮮に受け入れられるのは、その端的な言葉の使いが万人に対して直感的理解を促している点にある。

「ビジネスをボーリングに例えれば、成功はストライクです。ストライクを取るためにはセンターピンを外してはならない、という意味です。」そしてそのセンターピンを見分けるには「常に当事者意識を持つ」ことであると述べている。

わかりやすいが、奥は深い。
・1番ピンを倒さなければ、ストライクは取れない。
・3番ピンを先に倒して、1番ピンを倒す可能性はほぼ不可能。
(つまり、3番ピンは他のピンが倒してくれることがあっても、センターピンはボールが倒さなければストライクの確率は低い)
・センターピン=事業の本質
・このセンターピンを軸にすべてのオペレーションの方向性をあわせる(つまり事業展開する)。

私も物事の本質をつかめればいいと思うことが多い。しかし、それはいつまでたっても途上の話。しかし仕事の経験上、
「その物事の存在は本当に必要なのか?」という問いが物事の本質を掴むための(あくまで)一つの起点となっている。
なぜといわれても困るが、この質問から始めると「本質」を考えやすいから、という理由だ。必要かどうかを問うのは、本質というものは見えにくい、余分な情報、思い込み、偏見、事象をそぎ落とすという思考作業を経ないと見えないと思っているから、というのがもっともらしい理由である。実のところわからない。いつもこの問いだ。

たとえば、会議。必要なのか?内容ではない。ルール。必要なのか?取捨選択ではない。社内競争。必要なのか?企業の成長に資するものか?みな、ゼロベースで考えなければならない「ところで、それ儲かりまんの?」幸之助翁の本質を掴む問いである。あー難しい。