毒気

Appleの修理サービス
iPodシャッフルが故障した様子なので、修理サービスに電話した。今までに遭遇したことのない対応だったので紹介したい。
故障具合の調査とそれに対するソリューションを行ってもらった後、どうやら駄目なようで、5分間時間をくれという。レポートを書くということで、これはどうも社内的な書類で新品を出荷するために必要となる書類だと類推される。レポートを書くのにしっかり5分待たされたのはもちろん初めて。結果、修理できない、あるいは修理してもコストがあわない、と判断した場合、新品との交換にする。そちらの方が割が合うということなのだろう。

だだ、気になるのは中に入っているデータである。音楽データはともかく、iPodの容量の一部をUSBメモリーとして使用している場合、その中に個人的なデータが入っていることがある。その処理はといえば、「Appleを信じてください」として厳正に廃棄処理をしますということらしい。疑問の残る処理であった。

製品保証書には「ご購入より180日以降は、取扱手数料3,800円(税別)をご負担いただきます」と表記があり、アップルが負担するコストは、福山運送に払う往復の宅配便代+iPodシャッフルの製造コストの合計になる。(修理サービスの受付の人件費と負担する電話代は除いているが)

私の知る限り、北米でのアフターサービスというのは、修理をするということにコストを掛けるよりも新品を渡すという発想にいくことが多い。小売店の返品制度はその典型例。クレーム処理を様々なセクションを回す事務コストを考えれば、店頭で新品を渡すほうがいい、商品単品だけのコストを見ていてはいけないことを気付かせてくれます。これは実は従業員の教育コストを下げる意味合いもあります。クレーム対応=新品を渡せ!のシンプルな 従業員はきわめて低い賃金で働いていることを考えると当然の帰結なのだろうと思う。
ちなみに新品を渡すときの従業員は「これでどうだ文句ないだろう」とでも言わんばかりですが、新品をわたされては何も言えない気の弱い消費者の私だ。

■毒気
名著「箱」の中の箱はまさに「毒気」とも訳せる。癒し系という人には毒気がないように映る。

■おいおい。
    150,000株の売買が成立した。
280,000,000株の売り注文を残している。
買ってる人もいるということ。

■専門家。だから?
パラダイムの魔力」(ジョエル・バーカー)
世は専門という一方向に流れている。専門家が叫ばれるのは2つの大きな背景がある。
差別化が企業内定着用語になったこと。野原に咲く一輪のタンポポ。オンリーワン。つまり消費者に目を付けてもらうには、何か際立ったものが必要ですよ、という企業の経済的動機に基づく要請。そして、生き方を問う哲学上の要請である。「あなたは何をしたいのですか?」、つまりあなたは何をして(何の分野で)生きていきていきたいのですか?
パラダイムの力があまりに強いため、私たちは世界を一方向からしかみることができない。そして専門家がとんでもない過ちをおかすのは、このわなにはまりやすいからだ。」
専門化が専門分野を知っていることを知るにいたって驚くことは何もないと日ごろから感じている。当たり前すぎるからだ。そしてそれは他者の評価に過ぎないことをむろん承知で言っている。専門というのは自己満足強化という一因から来る。
 ところで、最近目立つのは専門家ゆえに持つ、専門家ではない人々とのギャップとの開きからくる様々な事件である。知識のギャップとはつまり不透明さである。知識がないといろんなものが見えなくなる社会の到来なのである。しかし一人で持てる知識などたかがしれている。かつ世の中は一億総専門家の流れ。視野はますます狭くなるのである。

■無私の表現
ようやく1本目の調査書が書き終わった。一本ようやく書き終えて初めて振り返ってみると、無私に徹する表現力でかなり時間を費やした。
レポートは言葉による補足説明が付随することなく、独立した形で回覧されるため、複数の人によって解釈を曲げられないために言葉の表現には細心の注意が払われる。ここで書くレポートは判断を促すものではなく、他部署の判断の材料として使われることを主目的としているためである。

レポート形式はすべてルール化されているため自由度はない。レポートの全体の構成に関しても、伝統的な構成がある。定性的な分析は、業界団体や調査対象の企業や競合企業へのヒアリングを担保にし、その言葉どおりの表記にすることが求められる。

この環境下で最も求められる表現力というのは、主観的表現を徹底的に排除することである。例えば、「大きく」「堅調に」などの副詞の使い方は人によって主観的になる。よって使ってはいけない。あくまで数字の提示が肝要であり、他社との相対性の中でのみ使える。同じ半導体業界の中でも「売上高営業利益率5%」は人によって全く異なって解釈される。

また、文章全体の意味合いは述語の表現に左右されるため、述語部分には特に注意が払われる。現状分析は断定的表現でいいが、そうでない不確実な部分、例えば、市場の将来性はどうなるのか?という箇所に対して表記する際に、①「拡大が期待される」、②「拡大するように伺える」、③「拡大が期待できる」は意味合いが異なる。担保となる数値やヒアリング内容によって使い分けることになる。日本語の難しさというもの改めて感じる。

尚、表現力に関して無私を貫くということを書いたが、レポートの中味において何に焦点を当てて分析するかを考える際には、意図、つまり主観的配慮が働く。この際、主観を排除できない。何を見せるかは主観そのものだからである。ここは銀行という債権者の立場が影響するところでもある。