墓場まで持っていけないのはお金だけ?

お金に執着する輩を揶揄して、「お金は墓場まで持っていけない」、
という人がいる。
これは一聞、なるほどと思えても、全く変だということに気付く。
そもそも、墓場まで持っていけないものは、お金だけではない。
今の世にある形あるものはすべてそうだ。
よってお金だけを取り上げるのはなんとも揶揄する側のご都合主義といわざるを得ない。

そもそも、問うべき質問は、「死ぬときに何を持っていけるか」という自己都合主義ではなく、
「死ぬときに何を残していけるか」という利己都合主義の質問だ。
この世に残していけるものは、あの世には持ってはいけないが
この世には「残る」(それを受け継いだ人の失敗とかなにかで、後でなくなるかもしれないが)。
残ったものを見て、残された者は、去った人を想う。
この世にこれだけのお金を残した(それがいい人に、いいところで使われるのがベストだが)
それが、どう使われたとか、死ぬ間際に誰かに寄付したとか、お金をどんな精神的・物的価値に変えたか?
結局、お金はどう使われるかの方が重要な課題だ。
うまく稼いだ人は能力がある。人の記憶に残る。
ただ、さらに、うまく使った人はもっと能力がある、
と心底想ってしまうのだが。