〜したことにして

  • 「〜したことにして」

昨晩の「蛙男劇場」は上手くまとまっていた。「仕組み」や「フレームワーク」を大切に持っていても、やはり「運用」が大切だということなのかもしれない。仕組みをしっかり整えて、運用でごまかすというのは今年も日本のシステムの中のいろんなところで露呈した。

  • 年末の最終報告会を振り返って

山田ズーニーさんのコラムで、日ごろの自分の考えとシンクロしたものがあったので引用させていただきます。

「分岐点」

5年つきあった恋人と、
自分の言った
「たった一言」が原因で別れたという人がいた。

「あの一言が原因で‥‥」
と悔やむその人に、ある人が言った。
その一言は原因ではないと、

「5年もつきあって、
 たった一言が原因で別れるようなことはない」と。

事情はまったく知らない私だが、
この言葉にすごく感じるものがあった。

 分かれ道は、もっと前に来ていたのではないだろうか。

もっと水面下で、
もっと静かに、
もっと決定的に。

道が分かれて、
最初は目に見えないちょっとの距離が、
水面下で、次第次第に大きくなっていって、
ついに水面化に隠しきれなくなって、
水面に現象となって顔をあらわしたのが
その「一言」ではなかったか。

だったら、そのおおもとの「分岐点」はどこか?

人と人が出逢ったり、
別れたり、
成功したり、
転落したり、
人生は不思議だ。

その理不尽さに、
「あのとき、あっちを選んでいればよかった」
「あのとき、こっちを選んでいてよかった」と、
私は、原因を目に見える現象に求めてきた。

だけど、最近はそうでなく、
よくもわるくも、
自分をこの道に入り込ませた決定的な原因は、
もっと見えないところで起こっているんじゃないか、
と思うようになってきた。

人は日々あたらしく生まれ変わっている。
たいていのことはやり直しがきく、と思う。

だけど、よくもわるくも、
それをいったん選んでしまったら二度と引き返せない、

「分岐点」
 みたいなものがある、
と私は思う。

それにのったら、二度と、もとには、戻れない。

兆候、兆し、右折前の車線変更、ちょっとした違和感、例をあげれば切りが無いが、何かが起こる前、そしてゆり戻しの効かないことの前に起こる何か。そして、常に鋭敏な感覚を保っておかないと気付かない何か、なのである。今判っている一つの何かは、企業に当てはめた場合、「コミュニケーションの円滑さ」である。これは企業内部がおかしくなっていく過程で、決定的に必ず見られる兆候である。どこから、コミュニケーションがおかしくなってきたのかという分岐点を見つける必要がある。大抵、「部分最適」ではなく、要職による「自分最適」が起因となって、この分岐点は出現するのだろうし、一方で、コミュニケーションが良くて、業績が悪くなった企業なんて聞いたことがない。

  • 今でも十分「労働」しているが、さらに「成果」を出さねばならない年

今の企業の成長は、量的なものであって、質的にはほとんど変わっていないことに本質がある。簡単に言えば、「稼ぐ量」(経常利益額)は増えたが、「稼ぎ方」(営業利益率)は変わっていない、ということ(法人企業統計を見れば一目瞭然、某経済紙だけみているとわが世の春の勢い)。その背景には、今、世界市場はかつてないほどの成長をしている点が上げられる。GDPマイナス地域がないのだ。来年の成長率も5%の見込み(高い!)。また、人口も毎年1億人増加している(多い!)。量が増えたのはBRICs、特に中国に負うところが大きい。中国は消費市場として、完全にテイクオフしている。ちなみに中国の自動車販売台数が06年は700万台に達し、日本を抜いて米国に次ぐ世界2位となる見通しだ(中国国営新華社通信)。20年ぶりに年間570万台前半にとどまりそうな日本を大きく上回る。経済成長に伴うマイカーブームで07年は800万台に達するとみられている。

一方、稼ぎ方が変わっていないのは、日本国内での過当競争体質の市場に根幹理由がある。今、コンビニで発売される飲料は、優に1,000種類を超える。近い将来2,000を超えるのだろうか?果たして、3,000までいくのだろうか?「そこまでいかない理由を探すことができない」というのが今のところ判っていることかもしれない。供給能力が需要を上回る状態が続いている限り、あるいは、経営者が英断しない限り、顧客への過剰スペック・サービスの供給(しかも不要なスペック)は終わらない。結果、商品やサービスに対する要求が(一部の消費者において)高くなり、企業側の仕事は複雑化かつ細分化してくる。仕事がどんどん細分化していくに伴い、人材に求められるスキルも細分化している。蜂の巣のようなものになる。ここに「専門職になりましょう」という「上のポストを用意できない企業」にとって都合のよい大義名分を与える余地が偶然にもできる。


その専門職だが、どんなに専門を極めても、スタンドアローンでは価値は産めない。自己完結型自営向きの専門職以外は。さらに、一つの分野を掘り下げていけば、ある程度は上手になる、しかし、それはただの反復運動になりかねない可能性もある。1年でする経験を40回繰り返しているだけかもしれないのである。そういう仕事の中では「横を見る眼、上から見る眼」(いわば事業観)は育ちにくい。ただただ、効率化に走る傾向が強くなるのかもしれない。結果、会社の受付から花がなくなったりして、なんとも人間味のしないオフィスが誕生したりする。今は職能別組織が極端に進化しているが、事業別組織をマネージできる人が育ちにくい環境になっているゆえに、経営人材がすくないと言われるのはこのあたりにも一因があるのかもしれない。


インプットとアウトプットという観点から、日本人の働き方をみると、インプット(労働時間×生産性)の一要素、労働時間からすれば働きすぎである、生活破壊的なほどである。就業後の飲み会、忘年会等などは減少の一途ながら、仕事量は10年前の倍以上。人生の他の要素を全く排除しなければならないほどではないものの、精神的な豊かさを得るには程遠い。ならばと、パラサイトシングルといわれるような独身者が、「親と住む30代前半の女性が3人に1人、30代前半の男性が2人に1人となり、増加傾向にある」という厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所の世帯動態調査結果がなんとなくわからないでもない。住居負担も家事も掃除も親にアウトソースするのである。また、東京都、愛知県、大阪府に住む30、40代の既婚の男女サラリーマンを対象に、「疲れ」についてのアンケートでは、9割が「疲れている」として、「仕事量」と「人間関係」を起因としている。さらには6割が家庭での原因は妻や夫にあると。晩婚化が進むのは無理もない。


ところで、この職場の疲れた状態を捉えた、マーサー・コンサルティングの柴田社長の比喩が面白い。

どの会社、どの企業、団体に伺っても、「集団皿回し」。自分の皿を回すのに手いっぱいで、他のことができない。しかもそれが集団化している。ですから、何か新しいことをやろうとしてもできない。皿が多いと割れちゃうからです。そこで、「人が足りません」と言って、人を入れるんですけど教えられないんです。自分の皿が割れちゃうから。そうこうするうちに、立ち続けですから足が厳しいことになって、ばたばた倒れていく。これが日本全部に蔓延している。その影響で顕在化しているのが、若手を採っても採っても辞めるという現象。いわゆる「七五三」です。中卒の人が3年で7割、高卒が3年で5割、大卒が3割辞めるという話。なおかつ、びっくりしちゃう話が、例えば大卒入社まもなく将来を期待されるような人については、5割が2年で辞めているんです(厚生労働省:新規学校卒業就職者の就職離職状況調査を見れば一目瞭然)。


若手人材からすれば、成長実感を感じさせてくれる会社に対して高いロイヤリティを感じる傾向があるのだろうけど、3年でやめる若者は、皿回しなんかやってらんねー、ということか。職場では、マネジャーは成果を出すことに汲々としていて、(プレイングマネージャーというかっこよさげに聞こえる名称が与えられて)若手を育てていくことができていないため、OJTは結果的に形骸化、すると暗黙知も伝承できない状態になっている。キャリアは長期戦なのにと個人的には思わないでもないが、クイック・キャッシュを求める風潮がキャリアを見る眼を曇らせているのかもしれない。結局、キャリアの構築のための航海マップ(なんてものがあるとすればだが)はNEED, CAN, WANTのトライアングルの重なるところにしかないと思うし、それを外れたところにいると、中田選手のように「自分探し」というかっこいい旅に出る理由を自分に作ることができるし、あるいはその職場で無理をして、不自然な笑顔を作って、体か家庭を崩壊させかねないこともあったりするのかもしれない。だから過労死なんていう世界でも稀かつ悲しいことがが起こってしまうのかもしれない。


一方、もう一つの要素、生産性からすれば、まだまだ低いのが現状である。先進7カ国のなかでなぜかビリ。「朝会社には一分でも遅れまいとするホワイトカラーが、出張中の新幹線の中で熟睡する」ことに対して、違和感を持たなければ、それも無理も無いということなのだろうか。ただ、これも時間に対する人の身の処し方の一部である。本質は、利害関係者の見ているところでは時間を守り、そうでないところでは時間を大事にしなくとも問題はないのかもしれない。たいていの社長はグリーン車に乗る。だから普通車のこういう現状を知らない。あるいは知っていて同情していて見てみぬ振りをしているからなのだろうか。生産性に関係なく、利害関係者に見えているか見えていないかが重要なのだろう。そもそもホワイトカラーの生産性を計る手法をみな求めてきた。過去十年間で成果主義という便利な名前だけが喧伝され、今ひずみを生んでいるようだ(その考えはいいのだけれど)。そこで将来導入される見込みなのが、「一定の条件を満たすホワイトカラーの会社員を労働時間規制から外す新制度」(日本版ホワイトカラー・エグゼンプション)だ。労働基準法が定める1日8時間・週40時間を上限とする労働時間規制を一部緩和し、時間に縛られない自由な働き方を可能にするものらしい(伝聞形)。さて、時間が給与の制約条件になるのがいいのか、成果がそうなるのがいいのかは今の時点では勉強不足のため自分の一つの考えが無い。ただ、組織の目標にコミットして、皆が無理無茶を繰り返して、どう考えてもこんな芸当は日本人にしかできないというような働き方であったことは海外駐在とか海外留学してみて思う点ではある。つまり、コミットメントのレベルが高いという日本人としての強みを生かし続けた結果が今の日本であるような気がする。ただ、このコミットメントは労働時間の長さ、という形で表現されてきた面は否めない。さて、社会保障費と個人向け税制がアップするなかでどう考えても変わる気がするのだが。ちょっと心配。


では、こういった疲弊している職場の状態で、どうやって生産性を高めるか、という答えの一つとして、野村総研は「2020年の日本人の競争力はモチベーションとチームワークによる」との報告書を今年出した。最後は、「心」に行き着いたか。ただ、そのモチベーションを支える環境は、まだ発展途上。フルタイムのパートタイマーは、本当は正社員になりたい、という気持ちがある。フルタイムのパートタイマーの37.5%は「正社員として働きたいが、働ける場所がない」という調査結果も出ていた。

  • 総括

よく働き、よく学んだ1年だった。楽しんでいるのにお金がもらえる、そんな感覚を持てる仕事にはそうめぐり合わない。本当に笑顔になれるときというのはやはり、楽しいことをやっているとき、好きなことをやっているときしかない。要するにやましいことなんて一切ない。嫌なことはやらないし、誰に何と思われてもかまわない。ただ、Client interest first.これは絶対に死守しないといけない。