優秀な人材を抱える会社ほど、環境の悪い方への変化に脆い?

  • 今年最後の忘年会

銀行の人と今年最後の忘年会。とにかく人が足りないということ。

  • 大掃除

とは言ってもパソコン上の大掃除。はてなのRSS上のブログが100以上だったのを76まで集約。ただ、76のブログを追っかけている自分は大丈夫なのか?と少し心配。

  • 06年の私のベストブック

今年は大体週2冊ペースぐらいで読んだ。途中でやめた本、繰り返して抜き読みした本もたくさんある(まるで出会う人みたい)。自分が死んでしまう前に読める他者経験・他者思考には限りがある。常にこのことを考えながら本を選ぶようにしている。たとえ、それが何かに使えなくとも。

視点・切り口・視座編
①「ハンバーガーを待つ3分間の値段」
ゲームクリエーターの眼を通した日常での気付き。ビジネスで出会う人々の思考は良くも悪くも同じ視点に収斂される傾向が強い。友人の社長の「音楽家とかにも出会え」という私への諫言、私の来年の課題です。ビジネス以外から学ぶほうが、なぜか実り、違った視点が多いのは、自分が「戦略馬鹿」になっている証左なのだろう。
②「突破するアイデア力」
これは同業者(とはいえレベルが違う)のコンサルタントが、いかに「ビジネス以外」で学べる事があったかを綴った(著者曰く)独り言集。「異質」の本質は、学べることがある点だと思う。ただ、そこには意識的な努力や好き・楽しいという気持ちがどうしても必要になる。ただ漫然と、経験の数や年齢に頼っても、そこから本質的な洞察を得られなければ全く意味がない(俺はこの業界に○○年いるとかという事実は「洞察を得ているかどうかという点に限っては」ほとんど意味をなさない)。そして、どの世界であろうと、必要なのは「自分で学ぶ力」。
③「考えないヒント」
放送作家・小山薫堂氏の「アイデア体質」になることで、考えない方がいい、というちょっとこれまた風変わりな本。「勝手にてこ入れ」(名前が妙)というのは、コンサルはじめ、アイデアを求められる人は日常的にやっているものなのだと思う。ただ、それはあくまで自動制御、つまり体質なのだ。ただ体質になるまでに努力はいるだろうけど。

これら三冊は一つの点で非常に結びついている。それは、「日常の漫然」とは相容れない「常に臨戦態勢にある頭の状態」。こんなこと書くと、疲れない?という意見がでそうだが、それは相対的なものだ。フルマラソンを楽しいというQちゃんを私は理解できないのと同じ。疲れる人はやらなければいいだけ。

雑多編
①「フラット化する世界」(上・下)②「鍵山秀三郎 一日一話」③「モンテーニュ随想録」

①は、自分の業界にどういうインパクトをもたらすのか、という問題意識をもって読むといいのかもしれない。②は、「ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる」という掃除哲学(実践哲学)。読みやすさとは相容れないような、その洞察の深さが魅力。1日ごとの言葉は短いが、その意味は深い③賢人の書。モンテーニュは初めて読む。こういった書物はたいてい訳が難しくて苦戦するが、これはそうではない。日々忙しい中で読む本ではなく、3連休ぐらいの心のゆっくりしたときに読むのがいいのかも。テーマは「人間」そのもの。


  • 人口減少

縮小している市場で売り上げを伸ばす工夫をしているのが、国内売上高比率が相対的に高い、あるいは国内売上のみの企業です。人口が減少しているということは国全体の「胃袋」や「足」や「口」や「耳」が減ることを意味します。もちろん、一人当たりの時間は24時間です。
にもかかわらず、優秀な人材を抱える企業Aの人材はこう考えます。
「高い付加価値商品・サービスを上市すれば、単価が上がり、売上も伸びる」と。
量が減るのだから、単価を上げようと。うむうむ、なるほどロジカルではないか。

では、この企業の競合Bはどのように考えるのでしょうか?
「高い付加価値商品・サービスを上市すれば、単価が上がり、売上も伸びる」と。
量が減るのだから、単価を上げようと。うむうむ、なるほどロジカルではないか。

???同じではないのか?
で、両者とも、より付加価値の高い(とそれぞれが思う)商品・サービスを開発します。
付加価値の高い商品を作るということは、①売れれば、収益性の向上に寄与します。②売れたとしても、以前の普及品より売れる量は明らかに少ないものになります。③売れなければ、以前より高価な在庫を抱えることになります。④以前とは異なる発想・技術で商品・サービスを作ることになります。⑤以前誰も売ったことの無い商品・サービスを売るということです。
という、5つの特徴を持ちます。
あたりまえじゃん、とつっこまれそうですが。大前提2つがあります。
人が減ることで最も打撃を受けるのは、一番量を売っている会社、ということ。もう一つは、どんなにある一部の商品(市場)で成功してもその市場そのものが伸びなければ、成功は限定的に留まる、ということ。
市場が量的に10%縮小したとき、一番「量」が減るのは、一番「量」を売っている会社です。
だまっていても、減るのです。この大前提をしっかり覚えておかないと、大変なことになります。
一つの方向性は、一番量を売っている会社は、高い付加価値をなんて言わないことです。
量を作っている二番目以下の会社の高い付加価値商品を間髪入れず投入するのに集中することです。
にもかかわらず、①を除く、上記4つのリスクをあえて犯す理由はどこにも無いのです。
一番量を売る業界トップにとって、重要な戦略は「同質化戦略」であることです。
まね?そう。真似。真似は学習の第一歩。
プライド?勝ち負けを決する状況を直視する時に最も邪魔になるのはプライドです。そう、つまらない自己拘泥に陥ったプライド。そして、真似ても最後は「個性」が邪魔をします。その会社らしさは必ず出ます。
個性はもともと「あるもの」。決して「作るもの」ではないから。

①市場が国内に限定されているがそれでいいのか?
②人口減少の自社事業へのインパクトは今後10年でどうなのか?
③競合他社にとっても同様にどうなのか?
④競合他社はどういう方向を選ぶのか?
⑤自社事業の海外市場におけるポテンシャルはどうなのか?
すくなくとも5つは考えなければいけないイシューがあります。
そして、唯一解は判らない。複数のシナリオが描けるだけ。リスクは大です。

新華社によると、今後10年にわたり、世界の自動車販売台数の伸びの約半分を中国が占め、10年には1,000万台、20年には2,000万台の市場規模に達すると予想。
一方、生産過剰を懸念する中国政府は26日、新工場建設には、既存の生産能力の8割以上の販売実績を求めるなどとする規制を発表。輸出台数が生産全体の数%台にとどまることから、中国政府はメーカーに積極的な輸出を奨励している。

また、今年、日本総研が中期的な自動車産業の市場動向を報告している。それによると、

自動車産業は、わが国経済において大きなシェアを占めており、その生産動向はわが国景気を左右する一因。足元の国内需要をみると、2000年以降は高い水準を維持しているものの、今後は人口減少というマイナス要因が存在。一方、外需は2002年以降増勢が続いているものの、その持続性については不透明。
国内需要は、人口動態の影響に焦点を当てて新車購入台数を試算すると、2005年をピークに減少傾向に転じる見通し。自動車購入意欲が強い若年層の世帯数が減少する一方、急増する高齢者世帯では購入意欲が弱いことが主因。
もっとも、①新車購入台数が急激に落ち込む事態には至らず、減少ペースは年平均▲0.7%程度と緩やか。②高付加価値化・所得増などを通じて1台当たりの購入金額を引き上げることが可能、などを勘案すれば、金額ベースの市場規模は現在の水準で維持される見通し。一方、車種構造は、少子高齢化の進行によって大きく変化する見込み。1,500cc以下(ヴィッツとか)の需要は堅調を維持するものの、1,501〜3,000ccの需要の落ち込みが相対的に大きくなる公算。