すべての人の行動に理屈が必要となる日が来ないことを祈る

最近、ボスから特命(汗・・・)で2人の「超」が付くほどの若手の教育担当を依頼された。まさに、人を育てることのできる可能性のある2人をボスが調達して来たのだが、2人に会って見るとまさに「まっさら」という表現が相応しい若者。

ところで、「間口×奥行き」という職場用語を人材育成に敷衍すると、奥行きを深くしてあげるのは、教える私の能力であり、責任。ただ、間口というのは、生来的なもので、判りやすくいえば、「融通無碍さ」や「興味対象の広さ」で、教えられる側の資質。これを変えるのは性格を変えるという無理難題になってくる。間口が狭いと当然奥行きを広げるのにも限界があるということだ。逆に間口は広いのに、奥行きが深くならないのは教える側に問題ということか・・・・(汗)。
さらには、間口が狭いと「ただの専門家」になってしまう。戦コンはそれではまずい。「ただの専門家」では顧客の知識と同列競争に陥り、同等の実務経験がない分、いつまでたっても顧客を超えた知見を提供することはできないからだ。

間口が狭いというちょっとネガティブなテーマだが、特徴は
①真似しない
②それをやる理由をいちいち聞いてくる
③それをやらない理由は「効率が悪い」の一辺倒
これを消費者の姿に敷衍すると、
①人と同じものは「買わない」
②それを「買う理由」を一つ一つ吟味する
③それを「買わない理由」は「面倒くさい」

内田樹氏の言うnatural-born consumers(生まれたときから消費者)なのかしら?つまり、すべてが短期的損得勘定?製品ライフサイクルが短期化するにしたがって、商品への評価も短期的になる。どうようのことが仕事の中にも?
「まず」理屈抜きで、やってみるって行動主義でよいことなんだけど。
こっちもそんなに長い間、真似ばっかりさせるつもりは毛頭ありません。
ただ、この2人は間口が広―――い。昔の自分よりも・・・(汗)。しかもお勉強の方もピカイチのよう。ということは、私の責任が・・・(汗)。