「世界の中の地方」と「日本の中の地方」

2007年の世界のGDPは54.3兆ドル。EUはその約3割を占める。2008年にはインドと中国の合計が16.2%まで上昇。一方の米国は20.7%。そして日本は10%を切る。規模が競争軸になる世界では「日本の地方化」をさらに加速しそうな感じ。でも、これは機会かも。規模(=物量)で勝負しない国になる機会?競争軸を細かく分解してこの軸で勝負しよう、ということ。でも「あるべき姿」というポジションニング・アプローチは不得手なお国柄。どうしても今あるものを前提に将来を考えるリソースベースが中心。リソースベースは誰も犠牲にならなくてもいいから、まったりした国にはフィットする。やっぱり世界で戦う製造業輸出立国?徹底的にグローバル人材をしつづけることができるか?という課題が重くのしかかる。人材がどうしてもボトルネックになる。たとえローカルに任せるとしても、任せる技術が必要になる。

一方、最新の住基台帳調査によれば、日本では35都道府県で人口減少。人口の半分が3大都市圏に住む現状からして、周知のように「日本の中の地方」では悪魔のサイクルが加速度的に回っている。人の住まない家の傷みが急速に進む、のと同じかどうかは判らないけど、人の住まない地方の経済の痛みはおそらく相当激しい。そこで、滞留人口(住む人)が増えないなら、交流人口(訪問してくれる人)を増やそうとする施策が乱発されて、何千何百(?)という失敗事例ではなく、成功事例がテレビで紹介され、地方による施策乱発がより加速度的に増加する。

世は地方を活性化しないといけない、という大前提の総論がある。でも個人的(三重県という地方出身者であるけど)には「なんで地方を活性化する必要があるのだろうか?」という疑問がある。必要性への答えはおそらく、「地方に住んでいる人が食べられなくなるから」。そして、絶対制約もある。「すべての地方の活性化はかなわない」ということ。こういう議論の分かれることでは意志決定が進まないのもこの国のお国柄かな?

  • 限り

限りがあるから飽きない、限りがあるからできる、限りがあるから尊い、そんなことが想起させる出来事が重なった1日。