一生完成することのない能力

「○○力」や「×△力」というスペックの数が跋扈する世の中にあって、一つのカテゴリーとしては陳腐であるが、比較的認知されているのが「コミュニケーション能力」なんだろう。ベタにいうなら、「言い方」とか「持って行き方」?(本当は「伝わり方」の方がいいのかも)あまりにも重要すぎるにもかからわず「心の底では誰もが自分はできているだろう」と高をくくる傾向(言ったことは伝わると考えがち)があるが故に、その姿勢によって事を動かすことができない罠に陥っているようにも思える(もちろん自分もだ)。だからいつまで経っても、「自分が言ったこと」と「相手に伝わったこと」のギャップは無くならない。元産業再生機構の秋池氏が日経の夕刊で、耳に痛いことを。その経験からのLesson learnedは 「上手に伝えることが相手の行動につながる」と。

言葉のとらえ方は人それぞれ

社会生活におけるコミュニケーションのほとんどは、実は文化的な背景の違う「異質な人々」の間で行われるもの(たとえ日本人であっても)。

私たちはしばしば、暗黙の前提を勝手に作ってしまって、相手もその前提の中で生きていると考えてしまいます。これは、あらゆるコミュニケーションの根本にある課題ではないかと私は考えています。

「相手も自分と同じようにとらえるだろう」と考えるのではなく、「自分とは異なる人に正しく伝えるにはどうすればいいか」と考えるのがコミュニケーションの基本。

判っちゃ居るけど・・・。